2018年11月号掲載
限界集落に暮らす その4
宮城 恵里子 看護師 
富士子おばちゃん風邪をひく


Hamattiさんによる写真ACからの写真

 ここ2日,富士子おばちゃんを見かけないと母が言います。母から頼まれた物を持って様子を見に行くと,康夫おじちゃんが牛に餌をやっているところでした。
 おじちゃんは80歳過ぎた今でも4頭の親牛を養い,子牛を生産しています。私が定期的に帰省していた頃は,子牛の出産前後にあたり,偶然にも出産に立ち会ったこともありました。
 「おばちゃんは?」と聞くと,熱を出して寝込んでいる,ご飯もあまり食べていないとのこと。元気なときは,野菜の生産農家の手伝いに行くほどのおばちゃんが寝込むとは,よっぽどのことです。
 大事に至らなければと思い,夕方になって,ちらし寿司をもって再びおばちゃんの様子を見に行きました。おばちゃんは寝込んだままでした。インフルエンザが流行っている時期であり,もしそうならおじちゃん共々寝込んでしまうことになりかねません。知っている人たちにこういうことを言うのも勇気がいるのですが,「インフルエンザかもしれないから,寝るときは離れたところでね」と思い切って言いました。おじちゃんは少し照れながら「寂しいから」と,傍らに寝ているような返事でした。家庭内隔離は難しいなぁと思いました。
 おじちゃんに「明日,点滴しに連れていこうか」と言うと,「そうしてもらうと助かる」との言葉。おじちゃんは運転ができないので,どうにもならなかったようです。おばちゃんたちには,少し離れたところに住む息子たちがいます。遊びにくることも多く,疎遠ではありませんでしたが,わざわざ連絡まではしなかったようです。安易に頼らず,できる限りのことは自分たちで解決するのが親心というものではないでしょうか。
 翌日,かかりつけのクリニックに行くことにしました。マスク姿のおばちゃんは,言葉少なに車に乗り込み,私にもマスクをくれました。私にうつしてはいけないとの気遣いでした。おばちゃんを迎えに行くときに,マスクをしていくかどうかは迷いました。感染の危険性を考えればすべきですが,身近な知り合いを乗せるときに不快な思いをさせるのではないかとも思ったのです。
 結局,そういう迷いは不要だということがわかり,マスクをして出発しました。10分足らずでクリニックに到着し,私は駐車場で待つことにしました。診察,点滴は2時間足らずで終了しました。少し楽になったとおばちゃんは笑顔になっていました。寝込んでいた間は,たぶんお店にも行ってはいないでしょう。食料も調達しないといけないのではと思い,買い物して帰ろうと誘いました。日ごろ利用しているスーパーに着くと,おばちゃんは足早に店内に入って行きました。買い物を終え,車に乗り込むと「持って帰って」と1つのレジ袋を差し出しました。「そんなことは無用」「いやいや助かったから」「いや,もらうと母さんに叱られる」「いやいや……」という問答の末,おばちゃんの感謝の気持ちをありがたく頂戴することにし,レジ袋は私の手元に収まりました。
 道中,食欲がなかったけど,寿司は食べることができたとのことです。酢の効用を改めて感じたできごとでした。
 家庭内隔離の件で,おじちゃんの「寂しいから」と言った話を伝えると,いつになく大きな声でおばちゃんは笑いました。まさか,おじちゃんがそんなことを言うとは,おばちゃんも想像もしていなかったのではないでしょうか。思いがけない言葉に驚き,同時に嬉しさもこみ上げたのではと思います。口げんかもするけど長年連れ添ってきた夫婦の絆が,そこに見えるようでした。
 数日後,おばちゃんは回復し,また元気な姿を見せてくれました。幸い,おじちゃんは風邪をひくこともなく元気に牛を養う日々です。
 *登場人物は仮名です。

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