2019年1月号掲載
限界集落に暮らす その5
宮城 恵里子 看護師 
物が行き交うということ


ハイハイさんによる写真ACからの写真

 私がまだ帰郷しない頃から,家で見知らぬ器(皿やどんぶりの類)や名前が書いてあるタッパーを見かけることがありました。聞くと,母は「それ(器)は千代子おばちゃんから煮物をもらった」「タッパー(フジコと書かれている)は富士子おばちゃんから漬物をもらった」等々と。ご多分に漏れず,わが家のタッパーにも母の名前が書かれていました。母とおばちゃんたちの日ごろの交流が反映されたものといえます。
 母が少し体調を崩し,横になっていた日のこと。仕事から帰ると食卓に富士子おばちゃんのタッパーがありました。タッパーを開けると,ゴマがいっぱいの高菜の炒め物でした。おばちゃんは,壺からあげた高菜の漬物をもってきてくれたそうですが,母が横になっているので,いったん持ち帰り,家で炒めて,改めて持ってきてくれたのだそうです。
 私がいないときにも訪ねてくれて,手間も惜しまず,こうやってくださることに感謝以外の言葉は見つかりません。
 このタッパーを返すときには,何か作ったものを添えたいと思っていました。そして,そのときがやってきました。いつでも,そのときを迎えられるようにタッパーだけは購入してあったのです。
 いなりずし用のおいしい揚げが手に入ったので,これが好機と。日曜日の昼食に間に合うように作り始めました。どうぞよろんでもらえるように,と期待しながらせっせといなり揚げにすし飯を詰めていきました。自分のタッパーに詰めて,おばちゃんのタッパーにはお菓子を入れて。

 数日後帰宅すると,「おばちゃんたちが,いなり,おいしかったって」と母。初出張したタッパーは,ごぼうとこんにゃくの炒め物とともに早々に食卓に戻ってきていました。偶然にも前日,母もごぼうの炒め物を作っていましたが,同じものではありませんでした。お返しは料理を学ぶ機会にもなっているのです。
 ところが,送り主がわからないときもしばしばあります。春先,タケノコの時期になると,家の前にはタケノコが横たわっています。わが家は山の入り口にあり,最後の民家。その立地条件で恩恵を受けています。母は,例年のことなので大体の想像はつくようですが,送り主が判明しないうちに早々に茹でて,食しています。
 先日は,送り主の見当がつかず,ちょっとした捜索となりました。時期的には早いニガウリ(ゴーヤー)とまくわ瓜が届けられていました。両方とも立派な出来で,特にまくわ瓜に目がない私は,食べたい衝動を抑えつつ,母が帰ってくるのを待ちました。ニガウリはほとんどの家で作っていますが,まくわ瓜は見かけません。子どものころは珍しくない夏の果物でしたが,プリンスメロンが流行するようになってからは,ほとんど見かけることがなくなりました。メロンとは違う歯ごたえで懐かしい味なのです。
 今年の夏は作ろうと思い立ち苗を買いに行ったときには,もう見当たらず,早くすればよかったと落胆したのです。
 そんなこともあり,目の前のまくわ瓜への期待が膨らみました。母は30分ほど後に帰ってきましたが,この時間は倍以上に感じました。
 母は去年ももらったからと多分,朝子おばちゃんだろうと言います。送り主の目星がたったので,私と母は早速,黄色のまくわ瓜に包丁を入れ,懐かしい香りと味を堪能しました。

 おばちゃんは同級生のお母さんで,車で10分ほどの違う集落に住んでいます。お礼の電話をかけるのですがなかなか通じず,結局おばちゃんと話せたのは,翌々日のことでした。おばちゃんが言うには,今年はまくわ瓜を作っていないから私ではないよ,と。
 予想が外れた母は目を白黒させましたが,すでにまくわ瓜は私たちのおなかでした。
 翌日,富士子おばちゃんに聞いてみると,おばちゃんのところにも届いており,誰だろうと思っていたと。おいしかったぁ~と,すでにおばちゃんの家でも食べた様子でした。

 朝晩,誰だろうね~が口癖のようになった3日目,文子おばちゃんが,カボチャをもって来られ,「まくわ瓜の味はどうだった?」と口にされました。やっと送り主がわかりました。今年初めてまくわ瓜作りに挑戦されたとのことで,周辺の皆さんへくださったようです。その話を聞き,あの香りと味が蘇りました。
 集落では古くから作られているもの,ちまき(あくまき)やサツマイモの団子,ゆべし,年越しそばなども,他の家で作っていることがわかっていてもおすそ分けをします。こうやって行き交うものは,気遣う心とともにその地方に伝わる文化も運んでいるといえるのではないでしょうか。

 *登場人物は仮名です。

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