2019年10月号掲載
物見遊山のフラヌール または聴かずに死ねるかクラシック その20
中木 高夫 看護ウォッチャー 
パリ以降①

パリから帰ってきたのか,はたまたさらに向かうのかフラヌール。「音楽から文芸を創作すること」に思いをめぐらせながら,今月の始まり。


 パリから帰ってきて,ちょっと気が抜けています。どうってことないと思っていたのですが,自覚した以上に強烈な印象だったのでしょうね。

* * *

12月3日(日)
 朝から雪。16 時から,カールスルーエのテアターで,ワーグナーの『ニーベルングの指輪』4部作の第2夜『ジークフリート』です。出演者が8名だけでコーラスもなし。全4作中でもいちばん地味です。でも,演奏もアンサンブルも新演出初演(プリミエ)から時間がたっているので安定しています。最後の幕でブリュンヒルデが出てくるのですが,大きなお相撲さんのような身体でドスドスと舞台正面に歩いてきて一声。あぁ,やっぱりこの声でないとワーグナーじゃないんだと得心しました。
 YouTubeはピエール・ブーレーズ+パトリス・シェローの「産業革命は人間を堕落させた」というテーマで読み替えた演出の名作しかないでしょう。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場がワーグナーのヴィジョンを忠実に再現したビデオ(オットー・シェンク演出)があるのですが,残念ながらアップされていません。
12月9日(土)
 マンハイムでベートーヴェンの『フィデリオ』。『レオノーレ』の最後の版で,いちばんよく上演される版です。ドイツの劇場でドイツ人の作曲のオペラなので期待して行ったのですがダメ。ベートーヴェンがゴチャゴチャ手を入れすぎてテーマがあいまいになってしまいました。歌手はレオノーレ(フィデリオ)役の歌手が小さすぎる人で,しかもキーキー声なのでダメ。演出は陳腐すぎ。終演後に演出家が出てきたときには盛大なブーイング。オケもダメ。出だしのホルンの重奏から合っていない。指揮者がダメ。現在のベートーヴェン演奏に対する思想がない! 時間のムダでした。
 YouTubeは『レオノーレ』のときに紹介ずみです。
12月13日(水)
 20時からハイデルベルクのオケの第4回コンサート。ぼくの大好きなシェーンベルク『浄められた夜 Verklarte Nacht』とブラームス『ピアノ協奏曲第1番』。結論から言うと「指揮者の統率力不足」。第2回のときのエリム・チャン(陳以琳,Elim Chan)だったらどんなによかったろうかと思うことしきり。ピアノのアレキサンダー・ロンクヴィッヒは音もキレイだし,ブラームスらしい演奏でした。
 シェーンベルクというと12 音技法の創始者で,やたら不協和音が鳴り響く現代音楽の先駆けと思われていますが,初期の作品はロマンティックです。『浄められた夜』はこの初期の作品の系列に入り,リヒャルト・デーメルの詩にもとづいて作曲されたものです。こんな詩です(行が分かれるところは紙面の都合で詰めて,句読点を適宜入れています)。

 浄められた夜 Verklarte Nacht
リヒャルト・デーメル
Richard Dehmel
男と女が寒々とした裸の林のなかを歩んでいる。月がその歩みに付き添い,ふたりを見おろしている。月は高いかしの木の梢の上にかかっている。空は澄み渡り,一片の雲もなく,黒い木の梢が空にのこぎりの歯のように突き刺さっている。女がひとり語りはじめる:
わたしは身ごもっています。でもあなたの子ではありません。わたしは罪に苦しみながらあなたと歩んでいるのです。わたしはひどい過ちを犯してしまったのです。もう幸せになれるなどと思いもしませんでした。それなのにどうしても思いを断てなかったのです,子どもを生むこと,母となるよろこびとその義務を。それで思い切って身を委ねてしまったのです。おぞましい思いをしながらも女としての性(さが)を,心も通わぬ男のなすがままにさせてしまったのです。それでも満ち足りた思いをしたのでした。ところが人生は何という復讐をするのでしょう。わたしはあなたと,ああ,あなたと出会ったのです。

女はとぼとぼと歩んでゆく。女は空を見上げる。月がともについてくる。彼女の暗い瞳が月の光でいっぱいに満ちる。男がひとり語りはじめる:
きみの身ごもっている子どもをきみの心の重荷とは思わぬように。ほら見てごらん,あたりはなんと明るくかがやいていることか! このかがやきは森羅万象にくまなくおよんでいる,きみはぼくと冷たい海の上を渡っている。でもその底ではあたたかさが交流している,きみからぼくへ,ぼくからきみへと。このあたたかさがお腹の子を変容させるだろう。きみはその子をぼくの子として産んでほしい。きみはこのかがやきでぼくを変容させてくれた。きみはぼくそのものを子どもにしたのだ。

男は女の厚い腰を抱いた。ふたりの息はあたたかくまじり合った。男と女は明るく高い夜空のなかを歩んでゆく。
(訳:喜多尾道冬)

 デーメルは「室内楽のための音詩」というジャンルを創ったということで有名だそうです。オペラや歌曲ではない純音楽が詩と結びついたわけですが,文学作品にインスパイアされて作曲するということはままあることです。しかし,詩をまるまる音楽に置き換えるというのはあったかどうか。
 逆もあります。音楽から文芸を創作するということは。
 余談ですが,2016年度の本屋大賞と直木賞をダブル受賞した恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という小説がありますが,あれは妄想の塊ですね。音楽を聴いてあそこまで妄想を文章化できるというのも才能かもしれませんが,音楽好きはもっと音に耳を傾けます。ストーリーは一色まことの『ピアノの森』のパクリというか,『ピアノの森』のほうが上質です。『チョコレートコスモス』も『ガラスの仮面』をパクッているところがあるとか。いやはや文学賞というものは。

おすすめのYouTube

 ブラームスの『ピアノ協奏曲第1 番』のYouTubeは「brahms piano concerto 1」で検索。グリモー,ポリーニ,ツィンマーマンと素晴らしい顔ぶれですが,ここは胸元がおヘソまで開いたドレスが素敵なユジャ・ワンのピアノ,ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーの演奏でいきましょう(写真1,2)。「Yuja Wang, Valery Gergiev-Brahms Piano Concerto No.1 in D minor」です。  『浄められた夜』は「verklarte nacht string orchestra」で検索。この曲を広めたピエール・ブーレーズによる「Pierre Boulez:La Nuit transfiguree opus 4 d’Arnold Schoenberg」がいいでしょう(写真3)。ぜひ聴いてください。 
写真1 ユジャ・ワン
写真2 ゲルギエフとユジャ・ワン
写真3 追悼 ピエール・ブーレーズ(1925-2016)

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